大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成元年(オ)1682号 判決

上告人

山口音作株式会社

右代表者代表取締役

山口貞二

右訴訟代理人弁護士

池田眞規

牧野二郎

被上告人

大山泰児

右訴訟代理人弁護士

奥平力

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

右部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人池田眞規、同牧野二郎の上告理由第一、第三について

一  原審の確定した事実関係の大要は、次のとおりである。

1  被上告人は昭和四二年ころから、第一審判決添付の第一物件目録記載の土地(以下「被上告人住所地」という。)上の建物の二階及び三階を住居としていたが、昭和六〇年六月ころ、右旧建物の建て替えのため一時他に転居し、その後同六二年三月、被上告人住所地に建築された一〇階建ての新建物の一〇階西側部分を住居とするようになった。右新建物の南側は窓などの開口部がほとんどない。

2  上告会社は、被上告人住居地の南に隣接する第一審判決添付の第二物件目録記載の土地(以下「上告会社所在地」という。)において、砂利、砂、セメント等の土木建築材料の販売業を営んでいたが、昭和四四年一一月ころからは、セメントサイロを設け、コンクリートミキサー車によるレデイミクストコンクリートの製造、販売も行うようになった。

3  被上告人住所地及び上告会社所在地は、商業地域に属するが、その東側は交通の激しい幅員約二〇メートルの道路に面し、上告会社所在地前にはバス停留所があり、被上告人住所地の北東角は信号機のある交差点となっている。裏側(西側)約三〇メートルのところには首都高速道路が存在する。これらのため、付近では相当の交通騒音が存在する。

4  上告会社は、昭和五六年一月二八日、文京区建築主事に対し、建築基準法(昭和五八年法律第四四号による改正前のもの。以下同じ。以下「法」という。)によって商業地域においては建築が禁止されている定格出力2.5キロワットを超える原動機を使用するレデイミクストコンクリート製造施設を建築する意図を有しながら、建築しようとする工作物の種類を「骨材貯蔵サイロ」として工作物の建築の確認申請を行うとともに、右工作物は建築用骨材の貯蔵、販売のためのものであってレデイミクストコンクリート製造に該当する作業等は行わない旨の誓約書を提出し、同年二月一七日、文京区建築主事から確認を得た。

5  上告会社は、右建築工事を開始したところ、文京区長から、右工作物の建築は法六条一項に違反するとして、右工事の中止勧告を受け、さらに昭和五六年五月一二日、法九条一〇項に基づき工事の施行の停止を命ぜられた。しかし、上告会社は、右の勧告及び命令を無視して工事を続行し、同月二五日ころ、第一審判決添付の第三物件目録記載の工作物(以下「本件工作物」という。)を完成させ、そのころ、その操業を開始した。

また、上告会社は、本件工作物の設置について東京都公害防止条例(以下「条例」という。)二三条一項の規定による東京都知事の認可を受けていなかったので、同年六月九日、文京区長から条例三四条二項に基づき文書により本件工作物の操業の停止を命ぜられた。

さらに、上告会社は、同五八年一月二六日、東京都知事から法九条一項に基づき本件工作物のうちセメント混入工程及びコンクリートの混練工程に相当する施設部分を除却すべき旨の是正措置命令を受けた。

しかし、上告会社は、右各命令に従わず、現在(原審口頭弁論終結時)まで約八年間本件工作物の操業を継続しており、右各命令に従う意思は見受けられない。

6  本件工作物の操業に伴い、ダンプカー、コンクリートミキサー車等の車両の出入り、ダンプカーからの砂利の投下、セメントサイロへのセメントの圧送、ベルトコンベアーによる骨材の搬送、コンクリートミキサー車のミキサーの回転、機械に付着したコンクリートかすをかき落とす作業などにより騒音が発生したり、ダンプカーからの砂利や砂の投下の際に粉じんが巻き上がったりしている。

7  上告会社は、本件工作物の操業によって発生する騒音や粉じんによる被害を防止するため、昭和五六年九月初めころ、被上告人住所地との境界付近に防音シートを張り巡らし、砂利投入口にゴムシートを張り、同五九年八月ころには、その上に小屋掛けをし、遅くとも同年七月ころまでに、セメント圧送の方法を建物内の防音室に設置したコンプレッサーによる方法に改めたり、本件工作物の内部や上部に集じん機を設置したり、すき間に防音シートを敷き詰めたりした。さらに、ダンプカーから砂利を投下する際には、砂利に水を掛けたりするようにもしている。

8  上告会社が、右のような防止対策を講じた後の昭和五九年九月二六日に上告会社所在地と被上告人住所地との境界付近において騒音の測定をした結果は、おおむね、次のとおりである。

本件工作物が操業を停止している時の本件工作物以外のからの騒音は、七〇ホンを中心としてほぼ六五ホンから八〇ホンの間であったが、時折八五ホンを超えることがあった。これに対し、本件工作物の操業に伴う騒音としては、砂利投入口への砂利の投下音が、瞬間的に八七、八八ホンに達することがあったが、その他のエンジン音、ベルトコンベアーの搬送音などの作業音は、本件工作物以外からの騒音とほぼ同レベルであった。また、室内に流入する騒音は、窓を閉めることによって約一五ホン低下した。セメントの圧送に伴う騒音は、前記圧送方法の変更によって、周囲の音と区別がつかなくなり、顕著に改善された。

9  前記のようにダンプカーからの砂利投下時にある程度の粉じんが発生し、その粉じんは、被上告人住所地に飛来し、駐車中の自動車、窓ガラス、洗濯物、旧建物の室内を汚し、水で洗い流そうとしてもなかなか落ちないような状況であった。前記騒音測定の際、被上告人住居地内の住所地の粉じんを測定したところ、一立方メートル当たり0.03ないし0.04ミリグラムであった。

10  被上告人が、前記被上告人住所地の一〇階建て新建物の西側に転居した後も、騒音による被害は続いているが、粉じんの室内への流入はなくなった。

二  原審は、右の事実関係の下において、大要次のとおり判断して、被上告人の人格権に基づく本件工作物の操業の差止請求を認容し、不法行為を理由とする損害賠償請求のうち本件工作物の操業開始から原審口頭弁論終結時までの期間(建て替えのため転居していた期間を除く。)の精神的苦痛に対する賠償請求を右期間を通じて二〇〇万円の限度で認容した。

1  本件工作物の操業によって発生する騒音は、不快音であって、軽度のものではなく、被上告人の生活上の利益を違法に侵害し、身体的、精神的損害を被らせている。粉じんによる被害も、被上告人の健康又は生活上、無視し得る程度のものとはいえず、本件工作物の操業をやめなければ、被上告人の被害は避けられない。

上告会社は、虚偽の建築申請をして建築確認を得、文京区長からの工事施工停止命令を無視して工事を完成させ、東京都知事の是正措置命令も無視して本件工作物を操業し続け、また、本件工作物の設置について条例に基づく東京都知事の認可も受けず、文京区長の操業停止命令も無視している。上告会社が違法操業を継続している期間は約八年にも及ぶのであって、その行為は極めて悪質であり、その違法性は極めて高い。上告会社の違法操業の態様がこのように著しく悪質で違法性の高い本件においては、生活上の利益侵害が社会生活上受忍すべき限度内であるときは当該利益侵害に違法性がないとする基準に従うことは適切でなく、被害が極めて軽微であるにもかかわらずあえて差止請求をしている場合に、これを権利濫用として排斥すれば足りるものと解すべきところ、本件の被上告人の請求が権利濫用に当たるものとはいえないから、被上告人は、心身の健全性の保持という人格的利益に基づいて、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができる。

2  また、被上告人は、上告会社の本件工作物の違法な設置及び操業による騒音、粉じんのために右の人格的利益を侵害されており、これによって被った精神的苦痛に対する賠償を求めることができる。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

工場等の操業に伴う騒音、粉じんによる被害が、第三者に対する関係において、違法な権利侵害ないし利益侵害になるかどうかは、侵害行為の態様、侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、当該工場等の所在地の地域環境、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の諸般の事情を総合的に考察して、被害が一般社会生活上受忍すべき程度を超えるものかどうかによって決すべきである。工場等の操業が法令等に違反するものであるかどうかは、右の受忍すべき程度を超えるかどうかを判断するに際し、右諸般の事情の一つとして考慮されるべきであるとしても、それらに違反していることのみをもって、第三者との関係において、その権利ないし利益を違法に侵害していると断定することはできない。

このような見地に立って本件を検討するのに、前記事実関係によると、被上告人の住居は、被上告人住所地にあった旧建物の二、三階から、同地上に建て替えられた新建物の一〇階西側部分に替っており、新建物は本件工作物に面した南側には窓などの開口部がほとんどないというのであるから、原審認定のように粉じんの流入がなくなっただけではなく、騒音についても、被上告人の住居に流入する音量等が変化し、被上告人が本件工作物の操業に伴う騒音によって被っている被害の質、程度が変化していることは、経験則上明らかである。したがって、被上告人の現在の住居に流入する騒音の音量、程度等、ひいてはそれによる被上告人の被害の程度の変化について審理し、これをも考慮に入れて本件工作物の操業に伴う騒音、粉じんによる被上告人の被害が社会生活上の受忍すべき程度を超えるものであるかどうかを判断すべきものである。また、原審は、前記のとおり、(一) 被上告人住所地は、相当の交通騒音が存在する地域に属すること、(二) 本件工作物の操業に伴う騒音は、瞬間的な砂利投下音を別にすると環境騒音とほぼ同レベルであり、しかも、窓を閉めることによって室内に流入する騒音は相当低下すること、(三) 上告会社において、騒音、粉じんに対する各種の対策を講じ、それが相応の効果を挙げていることなどの事実を確定しているのであって、これらの事実も右の判断に当たって考察に入れなければならない。

ところが、原審は、被上告人の現在の住居に流入する騒音の程度等について審理せず、漫然と被上告人の被害が続いていると認定した上、前記のような各判断要素を総合的に考察することなく、上告会社の違法操業の態様が著しく悪質で違法性が高いことを主たる理由に、上告会社の本件工作物の操業に伴う騒音、粉じんによって上告人の権利ないし利益を違法に侵害していると判断したものであるから、原審の右判断には、法令の解釈適用の誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法があり、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は、右の趣旨をいうものとして理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、前記の点について更に審理を尽くさせる必要があるから、右部分につき本件を原審に差し戻すこととする。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官小野幹雄 裁判官大白勝)

上告代理人池田眞規、同牧野二郎の上告理由

本件は、上告人所有のレディーミックストコンクリートプラント(以下本件プラントという)を稼動し、操業することに伴い発生する騒音・粉塵が、被上告人の人格的利益を侵害するとして提訴された事件であるところ、原審は不法行為の成立を認め、本件プラントの稼動・操業を差止めたうえ、損害賠償責任も認めたが、右原審の判断は以下述べるとおり不法行為法の解釈・適用を著しく誤ったものであり、その結果本件プラントの操業差止を認めるという重大な誤りを犯し、かつ、憲法二二条、二九条、一四条に反する違憲無効なものであって、それらの誤りはいづれも判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背に該当する。

よって、原判決を破棄することを求める。

第一 被上告人には、現在「損害」は発生していないので、そもそも不法行為は成立しない。原審は客観的「損害」の有無を認定しない点で判例違反である。

被上告人は昭和六三年三月から、本件プラントに隣接する被上告人所有の土地上の一〇階建ビルの一〇階西側に居住している。すなわち本件プラントの反対側最上階に居住しているのであり、本件プラントから一番遠い場所にいるのである。

従って、原審における被上告人(控訴人)本人尋問の結果、次のとおり被害の発生していないことが明らかとなったのである。

控訴人代理人の質問に答え、被上告人大山泰児は次のとおり被害のないことを述べている。

―現在あなたはそのビルのどこにお住いですか。

私は一〇階の西側です。

―被控訴会社の工場の騒音とか粉塵とかの発生状況は、現在、従前よりもむしろひどくなっているのですね。

ええ。

―それであなたが今住んでいる一〇階部分では、そういう被害を感じますか。

音が聞こえることは聞こえますが、そうピリピリする程ではありません。

―粉塵はどうですか。

一〇階のほうは殆ど粉塵の被害はありません。高いので一〇階までは上がってこないようです。

―それで窓は殆ど開けない状態なのではありませんか。

私のところは一〇階の西向きの窓ですので開けても殆ど粉塵はきません。

(昭和六三年一〇月二六日付控訴人本人尋問調書一〇丁裏八行目から)

また、これに続く被控訴人(上告人)代理人の反対尋問に答えて、より明確に「損害」の生じていないことを自らはっきりと証言しているのである。

―現在お住いになっているのは一〇階の音羽通りと反対側のほうですか。

ええ、西側ですから反対側です。

―で、そこではあまり被害はないということですね。

ええ、現在の住まいではありません。

(同調書二五丁表七行目)

―結論的に言いますと、現在のお住いで具体的にそのプラントの被害というのは、あなたの生活の中にどういう形で出ているのでしょうか。

現在一〇階の上にあがってしまいますと、工場の被害とかいうのは忘れてしまいますね。たまに台所で音がすると、ああやっているなという程度ですから。

(同調書二六丁表八行目)

以上のごとく、原審証人尋問の結果から見ても、もはや、現在被害は生じておらず、民法上の「損害」は存在しないのである。

仮に、過去の被害が生じていたとしても、それ自体も民法上の「損害」たりうるか十分に検討されなければならないものである。

以下順次、一、過去の騒音に関する「被害」ないし「損害」の存否について、二、現在及び将来にわたる騒音の「被害」・「損害」について、三、過去の粉塵の「被害」・「損害」について、四、現在及び将来にわたる粉塵の「被害」・「損害」について、検討をする。

一 過去の騒音に関する「被害」ないし「損害」の存否について

本件プラントにて発生したとされる被害は、騒音と粉塵であるところ、まず騒音の被害について検討する。

1 騒音自体発生していたか否かは、まず騒音の発生源でいかなる性質の音が、いかなるエネルギーで出ているかを測定しなければならないが、それは主に公害の防止を目的とした公害関係立法の規制するものであり、発音源主義といわれるところである。

これに対し、騒音被害を民法上とらえる場合には、右とは異なった、本来の趣旨にもとづき客観的な測音がなされなければならない。即ち、そもそも民法上の騒音被害は、「生活上の利益」あるいは現実的生活が侵害されていたかが問われるものである。

2 最高裁昭和四二年一〇月三一日第三小法廷判決においても、当該被害を受ける者の生活の本拠地たる部分の「玄関入口における本件工場の騒音」、「右玄関入口の戸を閉じた場合の音量」を詳細に検討した原審判決を維持したことからも以上のことは明らかであり、かつ確定判例である。

従って、本件騒音について民法上の「損害」と認めうるものであるかは、被上告人の「玄関入口」において測定された客観的資料に基づかねばならないのである。然るに原審は、杜撰にもそうした測量を一切することなく、又そうした資料も全くないまま、「騒音による被害は相変らず続いていること」(七丁裏一行目)、「たとえ基準以下の騒音であっても聞かされる者にとっては不快音であることに違いはない」(八丁裏九行目以降)として、ありもしない「損害」を認定している。

3 生活を侵害する音は多種多様であるところ、本件プラントから発する音が、他の騒音(暗騒音ないし環境騒音)と区別できず、それらと一体となってしまい有意差の認められない場合に至ってはもはや騒音被害、即ち「損害」そのものが存在しないといわざるを得ない。右のうち、まず発音源につき本件一審判決ではこの点次のように認定した。

『本件工作物の操業により発生する騒音の音量は、本件最終口頭弁論期日に最も近い時点である昭和五九年九月二六日の午前七時過ぎから午後四時三〇分過ぎまでの間に原告住所地と被告住所地との境界付近において測定したところによれば、おおむね次のとおりであった。まず、本件工作物がその操業を停止している時の本件工作物以外からの騒音は、七〇ホンを中心としてほぼ六五ホンから八〇ホンの間であったが、時折八五ホンを超える音量を記録することもあった。これに対し、被告住所地に砂利を搬入したダンプカーからの砂利投入口への砂利投下音は、被告の採った前記防音対策にもかかわらず、従前と殆ど変らず、瞬間的に87.8ホンに達することがあり、この騒音は、ダンプカー一台につき約二〇分の間に六、七回発生した。しかし、そのほかのダンプカーなどのエンジン音やベルトコンベアーの搬送音などの作業音は、本件工作物以外からの前記騒音とほとんど有意の差が認められなかった。殊に、被告が前記のようにセメント車からセメントサイロへのセメント圧送方法を変更する以前は、コンプレッサーのセメント圧送音は約七八ホン程度に達していたのに、右セメント圧送方法の変更後は周囲の音と区別がつかなくなり、右セメント圧送方法改善の効果は顕著であった。』(一審判決二二丁表七行目以降)

即ち、暗騒音の平均を七〇ホン(最小六五ホン、最大八五ホン)に対し、本件プラントから生ずるものについては、二つに分かれ、一般の作業音(ダンプカーのエンジン音、ベルトコンベアーの搬送音等)は右の暗騒音にまぎれ、有意差が認められない状況であった。ただ、砂利投下音は瞬間には87.88ホンに達するが、一台につき6.7回の断続的なものであるということである。

砂利を投下するダンプカーは一日平均三台(昭和六〇年平均)という程度であって、常時発生するものではなく、いわば例外的な騒音に属するというべきである。

以上が、発音源主義をとったときの騒音の状況である。

4 次に、生活に侵入する、民法上の不法行為を構成する「侵入者」について検討する。

本件第一審では、旧建物(三階建のコンクリート製建物)の南側三階(プラントに面している部屋でかつ本件プラントの騒音が直接聞き取れる場所)においての測定結果を事実として認定しているのであるが、その内容は次のとおりである、

『また、原告居住建物の三階の被告住所地に面した南側室内における騒音は、被告が前記のような防音対策を講じる前に測定したところによれば、窓を開放したときはダンプカーのエンジン音やベルトコンベアーの搬送音はほぼ六〇ホンから六五ホンの間にあり、ダンプカーからの砂利投下音は瞬間的に約七八ホンに達していたが、本件工作物以外からの騒音も、おおむね五〇ホンから六〇ホンの間にあり、バスの発信時のエンジン音は七〇ホンを超え、パトカーのサイレン音が七六ホンを超えたこともあった。しかし、窓を閉めると、騒音は、約一五ホン近く低下した。』(一審判決二三丁六行目以下)

室内においての測音によれば、一日中常時発着するバスのエンジン音が目立つ程度で、それ以外のものはほとんど区別できず、窓を閉めるとそれぞれ一五ホン近く低下しており、この時点でも生活に支障のない程度に収まっていたのである(以上の事実認定は原判決も全て維持している)。

従って、第一審は当然のこととして次のように判断したのである。

『被告の前記防音対策後に測定した戸外における本件工作物の操業による騒音とこれ以外の騒音とが前記のようにほとんど差異の認められない状態になっていることに照らせば、現在においては、原告居住建物内においても、両者はほとんど差異のない状態にあるものと認められる。そして、原告居住建物内における騒音は、窓を閉めることにより約一五ホン低下させることができるのである。

しかも、原告住所地は、そもそも都内でも有数の交通の激しい音羽通りに面するとともに、交差点に位置し、かつ、隣接する被告住所地前にはバス停留所があり、そのため、右交差点で信号待ちのため一時停止した大型車両や右バスの停留所に停車した大型バスが発信するときにはかなりの騒音を発するのであり、もともと位置的にかなりの交通騒音の避けられない土地であるといわねばならない。』(一審判決二六丁裏三行目以降)

過去の侵入騒音については、これに反する証拠は一切出されていないのである。

二 現在及び将来にわたる騒音の「被害」・「損害」について

本件についての、損害の有無の評価については、更に現在被上告人が実際の生活上何らの騒音「被害」を受けていないし将来も受けないであろうということも合せて考えられなければならない。現在実生活上に侵入してくる音が、従前(一審の時点)より数段減少しているという事実を合せ考慮するとき、現在はもはや民法上の被害即ち「損害」は存在しないというべきである。この点原審は「たとえ基準以下の騒音であっても聞かされる者にとっては不快音である」という評価を介入させることで、本来「損害」でないものを「損害」にまで拡大してしまった誤りがある。

そもそも右の「損害」は、一般人を基準として、客観的に認められるべきものであって、極めて個人的な感情などを基準とすべきものではない。

この点は、最高裁第三小法廷判決(昭和四三年一二月一七日)で示されている。

こうして、一般人を基準とし、客観的基準に従って判断することが判例として確定しているのであって、右の外前掲の最高裁判例をはじめ、多数の先例があり、これに反する原判決における過度の主観的判断は判例違反であることが明らかである。

三 過去の粉塵の「被害」「損害」について

1 粉塵の発生の状況については、原判決の引用する第一審判決二〇丁表六行目5、6の認定の通りである。

このことから、本件プラントから発生する粉塵はダンプカーからの砂利・砂の投下時にある程度の粉塵を発生させていることは認められるが、そのほかには本件工作物の操業によって格別の粉塵を発生させているものとは認められず(第一審判決)、この数値は、小石川植物園内の大気中の粉塵の数値とかわらないものであることは、文京区の客観的測定から明らかなのである(第一審文京区公害課・証人田中考の証言)。

即ち、

「そのほかには本件工作物の操業によって格別の粉塵を発生させているものとは認められず、昭和五九年九月二六日の前記騒音測定の際原告住所地内において測定したところによれば、一立方メートル当り0.03ないし0.04ミリグラムであった。」(第一審判決二四丁七行目以下)

2 以上の内容を分かり易くする為に図面を添付し証明すると、図の中央にセメントサイロがあるが、この中へセメントを投入するのは、セメント圧送車からであり、全てパイプを通り送られるので、セメントは全く外気には触れないことが分かる。一方、砂利・砂はダンプカーに積まれて来るので、ダンプカーからの投下時にほこりが出ることがある。しかし、その後は密閉式のコンベアーを通り、同じく密閉された骨材サイロに運ばれるため外気には触れない。

こうして、セメント・砂利・砂がそれぞれ計量器に運ばれたあと、混練機で水と混練され、液状になったレディミックスコンクリートができあがり、その後ミキサー車に積みこまれるのである。

以上の作業工程から明らかなように、粉塵が出るのは砂利・砂投入時のみであることが分かる。

3 にもかかわらず、原審は、一審の事実関係(二〇丁表六行目5、6)をそのまま援用しながら、評価の部分では第一審判決にあった、「そのほかには本件工作物の操業によって格別の粉塵を発生させているものとは認められず」という重要な部分を理由なく削除したのである。

4 次に過去の粉塵の侵入について検討する。

原審で取調べた控訴人本人の証言でも、その損害の程度が極めて主観的なものであることが次の通り明らかである。

―それから洗濯物を屋上に干されていて、白くあがらないということでしたが具体的にいうとどういう感じなんですか。

何となくさっぱりしないんです

……

全体ですね、何となくね。

―何となくという感じですか。

そうですよ、そんなに真っ黒になるわけじゃないですから。

……

よくテレビのコマーシャルで、自分のところの製品の洗剤と従来の洗剤を比較していますが、それと同じように気持ちの問題なんです。

―叩くと白い粉が落ちるとかそういう問題ではないのですね。

ええ、そんなことはありません。

(二二丁表)

以上のように、「何となく」「気持ちの問題」という程度のものは、民法上の「損害」に当らないのである。

四 現在及び将来の粉塵の「被害」「損害」について

現在及び将来の粉塵「被害」「損害」の発生については、第一に引用した原審の証人尋問の結果からも明らかである。

更に、仮に被上告人の主張する様な粉塵の発生が激しいものであれば、被上告人のみではなく、隣接者(ちなみに被上告人はもはや上告人に「隣接」してはいない)の被害も問題とすべきである。

この点も原審控訴人本人尋問の結果、明らかに被害の生じていないことが示されている。

―そうすると、ガラスにも付くのですから、ここに飛んで来るまでの間に例えば壁があればその壁にも付くでしょう。

同じ状態ならば付くのではないですか。

―現在お宅のビル、被控訴会社側に窓のないお宅のビルがありますが、お宅のビルは現在こういう粉塵が付着していますか。

今のところ、それ程激しくないようですね。

―こんなに粉塵が飛んで来るのが心配だったら時々見ているのでしょう。

今見て汚れている所がありますよ。

―これと同じような付着物がありますか。

それ程詳しく見ているわけではありませんが、これ程のは見ていませんね。

(二七丁表三行目)

―現在被控訴会社に一番近いところに三井銀行がありますね。

ええ、そうです。

―三井銀行から粉塵が飛んで来る、騒音がうるさいというような苦情がありますか。

あそこは銀行で、閉鎖的なところですから、言ってこないのではありませんか。

(二七丁裏一行目)

プラントのすぐわきの部分でこの程度であり、被上告人はこのビルの一〇階に住んでいるのであるから、粉塵のないという事実は明らかである。

以上検討したことから明らかな様に、発生している騒音・粉塵は大きく変化しなくとも、侵入騒音・粉塵は殆どないこと、従って民法上の「損害」が生じていないことは明らかなのである。

第二 〈省略〉

第三 違法性の判断につき受忍限度論を排斥したのは明らかな判例違反であり、原判決は破棄をまぬがれない。

公害紛争の中で、生活権侵害については通常の不法行為と異なり、生産活動、経済活動にその原因があることが多いため、その違法性を型式的に判断せず、実質的に判断する必要性が極めて高いため、受忍限度論が主張される。

受忍限度論というのは「加害者側の事情と被害者側の事情、および地域性などのその他の事情を比較衝量して、損害が一般人・合理人として通常受忍すべき限度(受忍限度)を超えていると認められる場合には、違法性あり」とする違法論の問題とされている。

右受忍限度論は、

(1)最高裁第三小法廷判決昭和四二年一〇月三一日

(2)同昭和四三年一二月一七日

(3)同昭和四七年六月二七日

(4)最高裁大法廷判決昭和五六年一二月一六日

によって、判例上確定したものである。従って、生活妨害が問題とされている本件の様な場合は、その損害につき受忍限度論に従って判断することが判例理論として確定しているものであって、これをあえて逸脱し、否定した原判決は明らかな判例違反であり、破棄を免れない。

特に、原判決は上告人の行政取締法規違反にのみ目を奪われて、受忍限度論を否定したが、その点については右(3)最高裁第三小法廷判決(昭和四七年六月二七日)に明確に反した違法がある。

即ち、右判決は、建築基準法の容積率に著しく違反した増築を行ったことで日照・通風が著しく害されたという事件であり、行政取締法規違反という点で類似している。右事件において、建築者は東京都知事から工事停止命令を受け、これを無視し更に違反建築物除去命令が出たが、これも無視して建築を強行して建物を完成させたことにより、この結果被害者は日照を殆ど奪われ、通風も著しく悪くなったため健康を害するに至り、ついに不利な価格で売却せざるを得なかったというものである。

これに対し最高裁は、受忍限度論を採用し、具体的にその判断をなした。

即ち、

「すべての権利行使は、その態様ないし結果において、社会観念上妥当と認められる範囲内でのみこれをなすことを要するのであって、権利者の行為が社会的妥当性を欠き、これによって生じた損害が、社会生活上一般的に被害者において忍容するを相当とする程度を超えたと認められるときは、その権利の行使は、社会観念上妥当な範囲を逸脱したものというべく、いわゆる権利の乱用にわたるものであって、違法性を帯び、不法行為の責任を生ぜしめるものといわなければならない。」

として、受忍限度論を採ることを明言した上で、まず上告人(建築者)の行為について判断し、

「本件においては、原判決によれば、上告人のした本件二階増築行為は、その判示のように建築基準法に違反したのみならず、上告人は、東京都知事から工事施工停止命令や違反建築物除去命令が発せられたにもかかわらず、これを無視して建築工事を強行し、その結果、少なくとも上告人の過失により、前述のように被上告人の居宅の日照通風を妨害するに至ったのであり、」

とし、つづいて被上告人(被害者)の受けている損害について、

「一方、被上告人としては、上告人の増築が建築基準法の基準内であるかぎりにおいて、かつ、建築主事の確認手続を経ることにより、通常一定範囲の日照、通風を期待することができ、その範囲の日照、通風が被上告人に保障される結果となるわけであったにかかわらず、上告人の本件二階増築行為により、住宅地域にありながら、日照、通風を大幅に奪われて不快な生活を余儀なくされ、これを回避するため、ついに他に転居するのやむなきに至ったというのである。」

こうした各個の認定をしたうえで、最後にまとめて行政取締法違反が直ちに不法行為法上の違法を裏付けるものとはいえないことを確認したうえで、その点もふまえて受忍限度をこえる違法性を肯定し、損害賠償を肯定したのである。

原判決は右判例に明らかに反し、次の点で間違いを犯した。

1 行政取締法に違反したこと(停止命令・除去命令に違反したこと)をもって直ちに不法行為法上の違法性を肯定してしまったこと。

2 ことに本件の特殊な事情であるところの、後にその行政命令自体が取消されて取締法違反自体が解消されたことを見落としまったこと。

3 かつ、右1、の点から、民法上の違法性の強さも合わせ判断してしまったこと。

4 行政法規違反の点からだけ「その違法性は極めて高いものである」と判断してしまったことから、従来の被害者の社会生活上受忍すべき程度を考えることができなくなったため、これを判断せず、逆に損害が「極めて軽微」ではないという論法で逃げてしまったのである。

こうして受忍限度の具体的判断を一切しなかった誤りがある。

以上の点で、判例理論に違反した。

第四ないし第七、結び〈省略〉

別紙図面〈省略〉

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